小説「風立ちぬ」が繊細に記した終末期とは

目次

『風立ちぬ』

 

「生きねば。」

 

この印象深いキャッチコピーは、2013年に公開されたスタジオジブリ制作の長編アニメーション映画『風立ちぬ』につけられたものです。当時、宮崎駿監督はこの作品を最後に引退すると表明したこともあって、少なからず皆さんの記憶にある映画だと思います。

そんなジブリ映画『風立ちぬ』には、モデルが存在することを、皆さんはご存知でしょうか。一つは、飛行機(零戦)の設計技師・堀越二郎。そしてもう一つは今回取り上げる、文学者堀辰雄(ほりたつお)が執筆した小説『風立ちぬ』です。

今回は、その堀辰雄の同名小説『風立ちぬ』について紹介していきたいと思います。

『風立ちぬ』から読みとる不治の病、結核

小説『風立ちぬ』とは

『風立ちぬ』は、昭和初期の1938年に野田書房から刊行された、堀辰雄の小説です。
信州の富士見高原(長野県)を舞台に、サナトリウム*で療養することになった結核を患う婚約者と主人公の共同生活が描かれます。

*サナトリウム…日本において昭和初期頃に存在した、結核の療養を目的とする施設のこと。

結核とサナトリウム

かつて日本で結核は特効薬がない不治の病で、「亡国病」と呼ばれるほどに罹患者が多く、恐れられていました。明治後期から戦後の昭和25(1950)年頃まで、毎年10万人以上が結核によって死亡していたのです。

有効な薬が発明されるまでは、きれいな空気の中で、安静にし、栄養をとって体力をつけるということが主な治療法でした。そこで結核患者は、高原などに設けられた療養所(サナトリウム)で、年単位の長い期間、療養をしていました。

 

『風立ちぬ』では、サナトリウムでの結核療養について次のように記述されています。

こういう山のサナトリウムの生活などは、普通の人々がもう行き止まりだと信じているところから始まっているような、特殊な人間性をおのずから帯びてくるものだ。

(堀辰雄『風立ちぬ』「風立ちぬ」の章より)

サナトリウムでの生活は、「行き止まり」から始まるとしています。これ以上先に進めない「行き止まり」、つまり、サナトリウムに入所することで結核が治ることはなく、待ち受けているのは死のみである、ということです。

当時、結核が不治の病であったことを考えると、サナトリウムで療養する人々が前向きな考えを持てなかったことも当然かもしれません。

 

堀辰雄と『風立ちぬ』のつながり

『風立ちぬ』は、堀辰雄が実際に結核の婚約者(矢野綾子)の入院に付き添って長野県の富士見療養所に入り、病状が回復せず、看取るという体験を基に、婚約者を失った悲嘆*の中かかれたものであるといわれています。

*大切な人を亡くしたときにおきる様々な反応のことを「グリーフ(悲嘆)」と言います。

小説家が書き残した予期悲嘆とケア

主人公の予期悲嘆

患者の死が訪れる前に、家族が患者の死を想定して喪失感を抱き、心理的反応を示すことを予期悲嘆といいます。

『風立ちぬ』では、主人公が婚約者を失うまでの過程が描かれますが、そこからは、婚約者が着実に死へと近づいていくことに対する主人公の不安や恐れが読み取れます。

例えば、本文中に次のような描写があります。

「思ったよりも病竈*が拡がっているなあ。……こんなにひどくなってしまって居るとは思わなかったね。……これじゃ、いま、病院中でも二番目ぐらいに重症かも知れんよ……」
そんな院長の言葉が自分の耳の中でがあがあ*するような気がしながら、私はなんだか思考力を失ってしまった者みたいに、(中略)診察室から帰って来た。

(堀辰雄『風立ちぬ』「風立ちぬ」の章より)

*病竈(びょうそう)…「病巣」と同じ。病気におかされている箇所。
*があがあ…うるさく大きな音がするさま。

これは、サナトリウムに入所してすぐに主人公が婚約者の病状について、医師にレントゲン写真を見せられながら説明された場面です。
医師(院長)の言葉は耳の中でがあがあとノイズのように聞こえ、主人公はまるで思考を失ったかのような状態になります。婚約者が重症であるという現実を受け止めることができずにいるのです。

 

主人公と婚約者は、療養したら病気が少しでもよくなると信じて、サナトリウムに来ていました。しかし、入所してすぐに病状はよくない、しかも病院(サナトリウム)内で2番目に、と告げられた主人公の絶望は深いものでしょう。

次に引用するのは、婚約者が亡くなるまさに直前の場面です。

突然咽をしめつけられるような恐怖が私を襲ってきた。私はいきなり病人の方をふり向いた。彼女は両手で顔を押さえていた。急に何もかもが自分達から失われて行ってしまいそうな、不安な気持で一ぱいになりながら、私はベッドに駈(か)けよって、その手を彼女の顔から無理に除けた。彼女は私に抗おうとしなかった。

(堀辰雄『風立ちぬ』「冬」の章より)

主人公は、婚約者がいなくなってしまう恐怖に襲われたのでしょう。
何もかもが失われていってしまうような不安な気持ちをどうにかしようと、婚約者に駆けよります。このように、婚約者を失うことに対する主人公の予期悲嘆が描かれます。

80年前に書きつづる終末期

婚約者の死がだんだんと近づく中で、主人公は婚約者に対しどのようなケアをしていたのでしょうか。次に引用する場面を見てみましょう。

私は毎日、二三時間隔(お)きぐらいに、隣りの病室に行き、病人の枕もとにしばらく坐っている。しかし病人に喋舌(しゃべ)らせることは一番好(よ)くないので、殆んどものを言わずにいることが多い。看護婦のいない時にも、二人で黙って手を取り合って、お互になるたけ目も合わせないようにしている。

(堀辰雄『風立ちぬ』「冬」の章より)

 

喋ることすら体に障るほど婚約者の病状は良くなく、病気に対してなすすべはもうない。永遠の別れが近いことが予感されるとき、主人公はただ相手のことを思いやって、手を取り静かに傍で寄り添います。

約80年も前に書かれた小説ですが、このような描写を見ると、終末期に取る行動は今も昔も変わらないように思えます。

ただ傍にいる」だけのことですが、お互いを思いあって気持ちを共有する時間を持つこと、それが大切なのかもしれませんね。

さいごに

家族の予期的悲嘆の体験は患者の死が現実になったときの衝撃や悲嘆を軽くするとともに、悲嘆からの立ち直りを早めることがあるとされます。

ここまでで見てきた予期悲嘆やケアの例が、患者さんの家族が抱えるつらさや悲しみを支えるケアの参考になるのではないでしょうか。

この作品が気になった方は、ぜひお手に取って読んでみてください。
また、ジブリ映画『風立ちぬ』では、小説と異なる描かれ方がされています。
あわせて映画もご覧になってみてください。

参考文献

ブログ中の堀辰雄『風立ちぬ』の本文は、堀辰雄『風立ちぬ・美しい村』昭和26年1月新潮文庫が出典(なお引用は、令和4年4月発行のものによる)

宮崎駿監督作品 風立ちぬ プロダクションノート

国税庁「結核と税―サナトリウムに設置された税務病棟―」

清瀬市「清瀬と結核 その歴史と今」

小高康正「堀辰雄『風立ちぬ』における悲嘆と創作のプロセス」長野大学紀要 巻 27, 号 2, p. 13-23, 発行日 2005

豊中市「大切な人を亡くしたとき -グリーフ(悲嘆)って何だろう?-」

公益財団法人 日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団「がん緩和ケアに関するマニュアル」

『デジタル大辞泉』小学館(なお引用はgoo辞書「があがあ」項による)

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